事故というより未必の故意
上は世間を最近騒がせた砧公園のソメイヨシノとヒマラヤスギ。とは云えこの2本が倒壊したのではない。しかしこの写真を撮った直後に立て続けにこの2本の同類が近くで倒れた。
Accidents will happen. 高校一年生の時、willを未来の助動詞ととって「事故は起こるだろう」と訳すしかなく、なぜ「事故は起こるものだ」という格言の訳になるのかさっぱり分からなかった。もちろん今は分かる。
3.11である。大地震、大津波はまさにwill happenの例だったが、原発のメルトダウンは起こってはならない事故だった。為政者や技術者たちが、そして原発からの電力を利用した東電管轄内の利用者たち(私も含む)が、事故は必ず起こるものという真理を軽視した結果としか言いようがない。
軽視が悪質度を増し、未必の故意までいく場合もある。Mooさんが書かれていた、富山市の、氏の馴染みの交差点で起きた自動車事故は、ほとんど事故というより未必の故意による殺人と言ってもいい。同じような準殺人は、数年前世田谷区用賀の246号交差点で起きている。信号を無視し猛スピードで交差点に進入したクルマに吹き飛ばされ、タクシー運転手の方が<殺された>。
福島第一原発の「事故」も主に為政者と東電の未必の故意の結果だったと言って差し障りがあるか。2006年、共産党の吉井秀勝議員が「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出。 この中で、地震や津波による外部電源喪失、非常用電源の故障、冷却機能の停止が炉心溶融を引き起こす可能性を具体的に警告していたのだ。
ところが当時安倍第一次内閣は、総理大臣名義で「日本の原子炉施設は外部電源に加え、非常用所内電源を備えており、冷却が可能」「(スウェーデンで起きた非常用電源の故障など)同様の事態が発生するとは考えられない」など、安全性を強調し、具体的な追加対策を講じなかった。
誰か責任とったっけ?
去年九月、常磐道を仙台まで北上した際、線量計が道路脇に設置されている福島第一原発立地自治体及び隣接自治体数市町村を通ったが、大熊町とかでは放射線量が今でも周辺自治体のより1桁や2桁違っていたのに驚き、恐怖したものだ。
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さて、今日忘れもしない14:46、黙祷を捧げよう。

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