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本が届くのが待ち遠しい

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  去年の今頃、世田谷区岡本2丁目で撮ったある邸宅の低いフェンス越しに咲く白菊。ちょうどこの家の奥方と思しき人が高級車で帰ってきて、私に怪訝の視線を向けたので、「すみません、お宅さまの菊があまりに見事で」と言うと、きつい表情が一瞬緩み、「あ、そうですか」と言って車庫入れのためクルマに戻った。 この写真の奥は多摩川の後背低地、つまりは河岸段丘下の低地であり、対面する川崎市の多摩丘陵、そしてそのはるか向こうには丹沢山地、その背後に富士が見える。そんなところゆえ、ここは高級住宅地だ。 * この頃の散歩のお供は故・池田晶子さんの著作を朗読するチャンネルだ。池田さんは46歳で他界されている。私と同世代。「死は存在しない」と常日頃主張し、墓碑銘には「さて死んだのは誰なのか」と刻ませようかと絶筆(であろう)で書いたこの思想家の明晰なことばに完全に<気を取られつつ>歩く深夜ないし未明散歩はいいものだ。 彼女は港区三田の人で、慶應女子高、慶應義塾大学文学部哲学科卒業というのだから、徹底した三田人だ。容姿にも恵まれた「考える人」は薄命だったが、お説の通り、精神は不死のままで(あって不思議ではないとされていた)、out of nowhereというしかたで、彼女の思想に魅了された者たちに現前するのだ。 今、故・大峯顯先生との対談集があるというので注文、届くのを待っている。2002年か2003年、大峯先生の放送大学テキストを総武本線の電車内で拝読中、南酒々井駅に電車が止まり、ドアが開いた瞬間に洪水のように車内に入ってきたヒグラシの大合唱で全身を貫かれたような体験が忘れられない。一瞬の<さとり>のようであった。 池田さんと大峯先生がどんなことを話されるのか。

心も冬ざれ 〜しかし楽し

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今こそが私の一番好きな季節なのだ。いや、その季節のピークと言ふべき時期があるとすればもうそれは過ぎてゐる。けれども、相変はらずまだ「その季節」にゐる。 もう何年同じやうに思つてきたことか。そしてそのたびに、あつといふ間にその季節が去つていつてしまひ、また来年も愛ほしくそれを迎へられるだらうかと不安を抱くのだ。 私は寂しがり屋だ?つまり誰かしらと交誼交友を求めがちな人間だといふことか。しかし「だつた」のは認めるけれど、今はもうそんなことはない。「心同じなる」あるいは「心同じならん」人を求めることは今、なくなつた。 人と心を通はせること自体を厭ふのではない。さういふ機会が降つて湧いてくるのなら歓迎する。ただ、今はさういふ機会を積極的に求めることはもうしない、したくない、面倒臭いのだ。 ほんたうに 君は孤獨を厭ふのか 落ちる枯葉は 讃へてゐるぞ 嘘つぱちの 友情とても 暇つぶし しかし潰して 何ぞ残らん 落ち葉踏む 獨りがゆゑに 音の澄む さあ、今日も冬ざれの中短日を楽しもうぞ!

周りを絶やせ?

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成城4丁目、野川脇の緑地、おととしの景。最も高い木はメタセコイアだと思うけれど、最近、やはり紅葉し落葉する針葉樹ヌマスギの存在を知って、近種どうしなので確信が持てなくなった。 そのメタセコイアの仲間のうち、北米のジャイアント・セコイア(セコイア・デンドロン)は樹高90メートル、体積は 1,486立方メートル、重さ1,256トンに達するような世界最大の樹木だそうだが、この<子>、背を伸ばすのは生存戦略の一環であって、落雷をわざと誘発するのだと。それで森林火災を起こし、周りの養分を取り合う植物たちを一掃するのだと。また、松ぼっくりのような硬い球果が焼かれることで開き、種子を撒き散らす。自分は熱い樹皮と内部に耐火物質を生成しており、生き残るのだ。驚異だ。 * 共同通信の調査で「日中戦争」を肯定する日本国民が「5割弱」いるのだそう。この数字が本当ならいよいよ日本は先の大戦・敗戦までの教訓を忘れ去る時代に入ったのだと言える。子や孫へ移住を勧める日がそう遠くない将来に来るかも知れない。 愚かすぎて、泣きたくなる。

日活の古い映画を見つつ

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  YouTubeでは今日活が昭和30年代の全盛期に撮った映画を無料で公開している。 日活は調布撮影所。私が狛江在住時には、程近いところに在り、何度その前を通ったか知れない。ロケでない限り、あの多摩川のほとりで多くのシーンが撮られたのだ。 吉永小百合さんの『ガラスの中の少女』などは、地下鉄の四谷駅がロケ先で、私が大学時代通ったあの辺りの風景が少しは重なったが、もうその時点で映画に映る四谷はもはや古めかしかった。重なったのは地下鉄の駅舎と聖イグナチオ教会だけ。どんなに東京が、日本が、急速に変化したかがよく分かる。 吉永さんのお相手は浜田光夫さんが多く、私はチビの頃からこの浜田さんが小百合さんにはふさわしくないと思っていて不満だった。「こんな美しいお姉ちゃんが、こんなどこでもいそうな兄ちゃんに恋するなんておかしい!」と思っていた。ねたましかった。 美少女の<定義>はさほど今も変わっていまい。しかし当時男のハンサムさについてはちょっと違っていたか?というか、ハンサムの幅が広かったのか。失礼ながら石原裕次郎さんだって決して美形だとは思えなかった。高橋英樹さんなら文句なかった。(笑) 吉永小百合さんに当時の男たちが熱狂したのはよく分かる。しかし、私はここでも臍曲がりで、吉永さんより、当時彼女と共に超美人女優と並び称された栗原小巻さんの方が好きだった。それを言ったら、酒井和歌子さんも大好きだったし、藤村志保さんも。マセたチビだった。 今日は『事件記者』の冒頭部分だけ見た。これはNHKの連続ドラマだったものを日活が映画化したものだ。父が楽しみにしていた番組であって、夕食後の団欒で家族全員で見たものだ。俳優さんたちはみな懐かしい顔ばかり。 いかに自分が歳であるかも再確認させられる。 あの頃の「自分」を「自分」であると今思っているその<主体>は何なのか、などと池田晶子さんのように思いながら。

おめでたい人間のままで

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  今日の、成城3丁目、明正小学校脇の緑地 昨日今日(日本時間&米国時間)とJohnの命日で何かそれなりのことを書こうとか思っていても、書けず、結局断念。なにしろあの日から45年も経った。 * 中国嫌いの人の声が一部では喧しいようだ。ええ、私にとっても現中国なんてちっとも住みたいと思わないところだ。旅行であっても行く気がしない。ひとえに独裁体制のせいだ。国の体を為すためには、強権的中央政府がなければどうにもならないというような国家的事情があり、あの国がそういうphaseにいるというのも分からないでもないが、しかし、人類がなんとか到達した、完璧ではないにせよ今のところどの政治制度的アイディアよりマシな民主主義でどんな国であれ一致すべきだと考えている私にはやはり到底受け入れ難い。(なお、独裁を望む国民が多数故の独裁体制も民主主義の結果だと言われてしまえばそれはそうだけれども、政権交代が保障されることを私は「民主主義」国の必須条件としたい。) それでも、中国人一人ひとりは同じ人間だ。 “It's really a wonder that I haven't dropped all my ideals, because they seem so absurd and impossible to carry out. Yet I keep them, because in spite of everything, I still believe that people are really good at heart.” ―  Anne Frank  「私が 自分の理想を全部は捨てていないのが本当に不思議です。あまりにも馬鹿げていて、実行 不可能に思えるからです。それでも私は理想を捨てずにいます。なぜなら、どんなこと があっても、人は心の底では本当に善良だと信じているからです。」 アンネはナチスの迫害の中ですら、こう言っている。私もどんな人間もgood at heartだと信じたい。Johnなら「brotherhood of man」か。そしてそれがいつも反証されっぱなしであろうと、最期まで信じていたい。

冬の夜のしじまで沁み入ったことば

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 写真は去年の今頃撮った日没頃のNHK技研の広場 昨夜このNHK技研の遊歩道も含めて、近隣を歩いた。Creedence Clearwater Revivalの I Heard It Through the Grapevine と Someday Never Comes をYouTubeの再生リストに入れて、それら70年代のヒットソングズを聴きながら歩こうとYouTubeを開くと、おすすめに故・池田晶子さんの著作を朗読するチャンネルが示されて、なんとまあ、惹かれてしまった。 東京・世田谷とは云え、人気がほとんどなくなる午前0時過ぎ、読み手は素人で聴きにくかったけれど、ほぼ雑音なき大蔵地区の道では池田さんの明晰なことばが沁み入るようであった。見上げれば十六夜の月と、冬の星座たち。 「自分」というのは、名前でなければ、身分でもない。体でなければ、心でもない。ないないづくしで、どこにもない。それが「自分」というものだけど、だからといって、自分など「ない」というのでもない。何を「自分」と思うかで、その人の自分は決まっている。 という一節を、日大商学部キャンパス脇の「水道道路」を歩いているときに聴いた。 これを咀嚼してさらに味読すると、私が歌を歌うときの理想であり、また稀ではあれそれを叶えたときの境地を彼女は言っていると思えて、立ち止まった。 Feel Me という私の歌がある。Feel me whenever you feel the wind blow「風が吹くのを感じたらいつでも私を感じてくれ」と私は歌う。「自分」はそのとき「風」なのだ、と。 歌を歌うとは、歌う者が歌われることばになることなのだ。

<しかつの>らしい話

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  今日は鹿島アントラーズの9年ぶりJリーグ優勝に尽きる。私はリーグ発足以来の鹿島ファン、ただし熱心でなんか全くない。祝う資格すらないかも。それでももうとても着られない9年前の優勝記念Tシャツを持っているよ。 Zicoさんが鹿島を導き続け、鬼木さんがJリーグ最多優勝5回の監督となった。レオ・セアラが21得点で得点王になり、teamは勝ち点1差で柏レイソルに競り勝って9回目の優勝、他のタイトルを含め22冠を手にした<鹿島の総タイトル数は、リーグ優勝9+天皇杯5+ルヴァン杯3+スーパーカップ5+ACL1>。 メンバーみんなすばらしかった。MVPはきっとレオ・セアラだろうけれど、GKの早川も劣らぬ活躍だったと思う。それぞれ攻撃と防御の大ヒーローだ。 鹿島のファンである理由は旧ブログに書いたけれど、それが失われた今子孫のために再び書けば、Jリーグ発足時のZicoの心意気に惚れたのがまず第一。そして根本という姓は茨城県で生まれたからだ。特に稲敷郡美浦(みほ)村にズバリ「根本」という地区がある。 福島県二本松市出身の父方の祖父・平喜の祖先は、だから、茨城から福島県のいわきなどの浜通りへ北上し、さらに県中央部の二本松や郡山、福島市の方まで進出した根本姓のclanの一員だったに違いない。 美浦村はアントラーズの拠点(鹿行地域の諸都市)には残念ながら入らないけれど、まあ、仲間に入れてやってくださいな。 アントラーズ、優勝おめでとう! こうしてサッカーで命燃やせる平和を守っていきましょうね、ファンのみなさん!サッカーファン、野球ファン、いろいろなスポーツのファンのみなさん、平和あってのスポーツです、戦争をしない政党に必ず1票入れてね! ・・・まあ、そんな<しかつめ>らしい話はここらにして。<鹿角(しかつの)=antlers>らしい話をまた2026年も楽しくしていきましょう!