天津神3神を私も尊崇はするが



 5月3日、神栖市に在るホテルを日の出前に出て撮った一枚。

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神栖には息栖神社があり、これは「東国三社」と一括りされる古社のひとつ。残りは鹿島神宮と香取神宮である。香取神宮のみが利根川を挟んで南の下総(千葉県)に在り、あとの二社は常陸(茨城県)に在る。国(県)を跨ごうとも三社が成す三角は狭く、互いの関係性は歴史の素人でも深そうに思える。

義父の娘はこの三社をしっかり回り、御朱印をいただき、また「東国三社」参り完遂の証の「東国三社守」を手に入れた。私は運転手であって、それぞれの神社に着けば境内をウロウロしていただけ。信仰心は厚くないのだ。

というのは、私は神社なら国津神系をより崇敬するからだ。私の田舎では成立がはるかに古い(778年と言われている)天津神系の大山祇神社が有名だし、私も尊崇するけれど、町の地区単位で言うと熊野神社(村の鎮守の神という感じの小さな社)により親近感を覚える。これは室町時代に越後街道沿いの宿場となる町の原型が造られた頃に勧請・造営されたらしく、我が根本家はもともと二本松の者ゆえその頃には全く縁もゆかりもないけれど、遠く後年、大正期に移り住んだ我が祖父は間違いなく村の鎮守、産土神である「熊野様」をより身近に感じ信仰したに違いない。熊野様は、その祖父や祖母が檀家となって後年その墓所に眠ることになる曹洞宗常楽寺の北に隣接しているのだ。薩長中心の明治政府が推進した野蛮な政策である廃仏毀釈前はきっとこの常楽寺と熊野神社は一体だったはずだ。

熊野大社は主神がスサノオであり、国津神系だ。しかし、さすがは神仏習合のふるさととも言うべきこのお社(熊野権現)は、スサノオの「姉」アマテラス(天津神)も祀っているわけで、ここでも「国天習合」とも言うべきmingling(混淆、だが、混ざる要素は明確に区別できる形での混合で)ぶりだ。こういうところが私は好きなのだ。

また我が街区(原町と言う)の東隣の本町という街区は諏方(諏訪)神社を鎮守としている。諏訪大社も国津神系である(それはそうだ、主神タケミナカタは出雲大社の主神オオクニヌシの息子なのだから。そのタケミナカタを出雲から諏訪へと追いやったのが、鹿島神宮主神タケミカヅチだ)。

そして過去に記したけれども、天津神系の大山祇神社の宮司様はなんとこの諏方神社の神主でもいらっしゃる。この辺りのいい意味でのいい加減さ、minglingぶりが楽しく、うれしい。

(この稿、またつづく)

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