初めて行った香取神宮のこと
香取神宮の奥宮。香取神宮の祭神はフツヌシで、日本書紀にその存在や行状が記され、古事記にはない。私は<古代史ロマン>としては古事記の方により興味を覚える方だ。日本書紀は藤原不比等さんの影響力が強すぎて、氏神春日大社の権威づけのために、後に建てられる鹿島神宮やこの香取神宮につながるタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)とフツヌシの<神話>が記されたのではないかと思える。古事記では両神宮についての記述はなく、なんとフツヌシのことすら書かれていないのだ。
フツヌシの名の由来はおもしろく、「フツ」は剣を一閃するときの音、つまり擬音だと言う。ゆえに「剣の主」、マスターということだ。タケミカヅチと共にいわゆる「国譲り」のときに活躍し、また東国の<蛮族>討滅にも力を尽くしたと日本書紀だけが言うのだ。
「香取」は、「書紀」にある「斎主神云々、此神今在于東国檝取之地也」の記述から(檝取=香取)少なくとも720年の書紀成立前よりあった地名であるけれど、この「檝」の字は舟の「かじ」や「かい」を意味しているといい、縄文海進で今(霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼)よりも広がっていた「うみ(後に「香取の海」と呼ばれる)」にふさわしい名前だった。
なにしろ、タケミカヅチもフツヌシも、存在していたとすればヤマト政権からの東国征服戦争の指揮官そして戦闘員だったということだ。その戦いの前線が常陸の「かとりのうみ」だったのだ。その戦で敗れた<蛮族>は「蝦夷」や「毛人」と呼ばれたのかどうかは知らない。しかしそのヤマトの者たちには聞き取れぬ言語を話す彼らは「さえき(=会話を<さえぎる>者、騒がしい者)」と呼ばれ、伊勢神宮へ献上された後、始末に負えない者として瀬戸内海に面する諸国へと移住させられるのだ。
・・・そんなことを知らずに「蝦夷」や「毛人」の子孫が香取や鹿島の神に祈りを捧げているとしたら、なんという皮肉だろうか。ま、その血を<純粋に>保ってきた人などいるはずもないと思うけれど。
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