2026年5月3日 鹿島城と根本寺間往還での想い


YouTubeで、1963年に行われた鈴木大拙の講演を聴いた。1時間足らずのもので、彼の思想の一部を語るに過ぎないのだけれども、演題が「最も東洋的なるもの」というのだから、その思想体系の大本の部分が語られたことになろう。

彼が強調したのは「自然」ということばだった。欧米人はキリスト教の影響でこの世の生き物や事物は神により造られし(=被造)ものとするが、東洋では正に「自ずから然らしむ」ものなのだと。これは多くの人にとってよく耳にする論だが、1963年当時ではそういうこともなかったであろう。

それを聴いていて思ったのが、ラテン語naturaはまず「course of things」の意味だと語源辞典は言う。「ことのなりゆき」であり、鈴木が講演で後に語る中国の「道(Tao)」と取っても差し支えない意味だ。また「文字通り」と辞典は言いつつ、「生まれ、誕生」とも解す。「生まれ出ずること」なのだ。ここにキリスト教の影響はない。

そして神の被造物としての自然というキリスト教の考えが広がり、naturaは「生まれ・される(講演での鈴木の言い方)もの」となっていった。「自ずと生まれる」から「生まれさせられる」ということである。

さらに聴いていて思ったのは、和辻哲郎や、特に内山節の論、すなわち<日本語に自然に当たる大和言葉が存在しなかったことは、日本人が自然を客体化せず、その一部として包摂されていたことを示す>という主張である。

鈴木は明治以降日本人もこの自然客体化を欧米思想、主にドイツ思想からの影響でし始めたと言う。そこから「自然を征服する」などという考えも生まれてしまった、と。延いては、対立するものを包含せず、殲滅するという考え方に傾いていってしまったのだ。

さて、この講演を砧公園を歩きながら聴いていて、私は根本寺と鹿島城址の城山往還の間思ったこととを重ねていた。

憎むべきは薩長中心の明治新政府による廃仏毀釈だな、と。そして、本地垂迹説からの神仏混淆・習合なる仏教と神道のどちらかによる<征服>ではなく<混淆>という知恵を持った我らが遠い祖先の「和の精神」、そのすばらしさである。

根本寺はかつて鹿島神宮と一体的とまでは言えなかったらしい(鹿島神宮寺がそうであったが、江戸最末期天狗党の乱で焼失した)が、廃仏毀釈という暴力・弾圧にめげずに神職鹿島家の墓所があり続けるほどで、そのつながりは深い。

鹿島氏は前の記事で書いたとおり大掾氏の流れ、その大掾氏は桓武平氏(桓武天皇の曾孫である高望王の長男国香の末裔)だ。鹿島氏はこの血筋をむろん誇っていた。桓武天皇は言わずと知れた(?)熱心な仏教徒であったから、鹿島氏も神式の墓所を持たず(おそらくそんな発想もなく)根本寺と強いつながりを持ち、また維持したのだ。

さあ、桓武天皇、そして高望王だ。長くなるぞ・・・よって休憩。

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