黒澤監督の息抜きの場
NHKの「ブラタモリ」を見た。成城がなぜ日本のハリウッドと言われるのか、というテーマだった。私にとってほぼ毎日のように歩き、自転車で通るところばかりがTVで紹介される---しかも全国放送で---のはなかなか心躍るものがあった。
案内役の成城大学の先生がタモリ氏に問いかけたことはほぼすべて私には答えられるものだったが、「ほぼ」と言うのは、東宝の監督スタッフや俳優たちが憩いを求めた近隣の場はどこかと言う問いで、私は多摩川のことかと思ったが、豈図らんや黒澤明氏などが息抜きをしたのは当時ゴルフ場だったという砧公園だったとのこと。知らなかった。
黒澤さんは確か「羅生門」が第12回ヴェネツィア国際映画祭(1951年)で金獅子賞(=最高賞・グランプリ)を獲ったとき、出品されていたことも知らずにいて、「羅生門」の国内での評判は芳しくなく、また次作の「白痴」もさらに不評で、髀肉の嘆を託っていたのだった。次作の当てもないまま多摩川で釣りをしていた。そのことを自伝『蝦蟇の油』で綴っていたっけ。そんなこともあって、黒澤監督の憩いの場は多摩川だと思ったのだ。もちろん間違ってはいない。
黒澤氏は今の渋谷区恵比寿の家が1945年空襲に遭う前に砧(私の住む街)の同僚宅に疎開と言うべき形で間借りし暮らし、その金獅子賞を獲ったときは砧から千歳船橋へ移り暮らしていたという。それでも釣りをしていた場所は狛江の多摩川に違いない。そして賞をもらって俄然名声が高まると翌年(1952年)その狛江に転居、森繁久弥さんと隣同士になり、10年以上暮らしている。その後、世田谷区松原や恵比寿などを経て、晩年は成城2丁目と4丁目に暮らし、4丁目のマンションが終の住処となった。
・・・なんとまあ、私の<生息域>とかなりの部分が重なることか!だからどうした!
「ブラタモリ」から話が逸れたけれど、まあいいだろう。
一言だけこの放送について言うと、確かに東宝スタジオの所在地は成城1丁目だけれども、主要なスタジオの多くは砧7丁目に在る。放送では砧の「き」の字も出てこず、それだけが不満だった。(笑)

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