Tea for 祖母・橋本家の血縁者たち
世田谷の砧地域に住んでいることの特権がひとつあるとすれば、世の中連休でどこの紅葉スポットも人混みになる中、確かにここも平日の数倍の人出となっても、こうしてしんみりした初冬の景を撮れる砧公園が地域内にあることだ。
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私は2000年の初冬以来、インフルエンザやひどい風邪にかかっていない。これらに含めていいかよく分からないが、Covid-19にも罹患しなかった。医者嫌いの私だ、予防接種などしていない。ではなぜ四半世紀もの間それらを患わずに済んだのかを考えると、全くの素人判断だし、根拠などほとんど示せないけれど、お茶を普段よく飲むこと、冬季にはミカンを毎日食べていること、葱が好きなこと、寒くても却って散歩が気持ちよく(暑くならずに、という意味)できるから適度に歩くことという4つの理由が考えられると思うのだ。おそらくその1つや2つだけでは効果は薄弱だろう。4つが合わさってはじめて抵抗力が養われるのだと思う。はい、思うだけ。真実は分からない。
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お茶については旧ブログでも書いたが、父の実家は手広くいろいろなものを商った「時計店」だったけれども、そのうちお茶も「根本園」と称して売っていた。祖父は私が4歳の時に亡くなっているのでほとんど記憶にないが、81歳まで生きた祖母は毎日何度も茶を飲んでいた。父は87歳まで生き、やはり茶が好きだった。
祖母は店舗の奥、戸のない四畳半くらいの座敷で長火鉢の前に座り、客に「おあえなはんしょ(いらっしゃいませ)」と言い、上客なら「お茶飲まんしょ」と勧めた。
祖母は旧姓橋本で、今は福島県伊達市の一部になっている霊山町で生まれ育った。数年前その祖母の兄弟がなんと岩手県に広大な土地と家屋を持っていて、その直接の子孫の宮城県在住の人が「時効により」相続したが、処分したいとのことで、どういうことか詳しくないが、その処分にあたり法定相続人としての権利が多数の血縁者に発生し、私にも弁護士から相続の可否を尋ねる書類が来たのだった。そこは一関市に属するところで、土地が2991平方メートル、建物面積が合計285平方メートルというが、ストリートビューだと里山ありの典型的な日本の農村である。
なにより興味深かったのは、祖母やその親兄弟姉妹の血脈がしっかりと各所で受け継がれていることだった。福島県北部から宮城や岩手にまで北上して行った遠縁がいたのだなあ、と。
「多数の血縁者」は合計22人、中には知らない名前の人が10人もいた。この人たちと会ってみたいものだ。22人全員集まるそのときは、私が喜んで茶をふるまおう。
「お茶飲まんしょ」
と言って。

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