人類共同体の到達点 〜LA Dodgers、WS連覇おめでとう

 



LA Dodgersのワールド・シリーズ連覇、心よりお祝い申し上げます。Team一丸のプレイの数々に魂が揺さぶられた人は多いことでしょう。

3回大谷さんがなんと3ランを打たれて、敵地でのことだしこれはもう勝負あったなと私は思いましたよ。大谷伝説に暗い影が覆った瞬間だと誰もが思いませんでしたかね。ところがこのLA本拠のチームはみなでその劣勢を挽回していく。なんという並外れた精神力の持ち主たちなのでしょう!

山本由伸さんのリリーフ、そして胴上げ投手になる超劇的な結末には涙が止まらなかった。

準MVPは捕手のWill Smithでしょう。MVPでもおかしくないくらいだと私は思ったけれど、でも、シリーズ3勝なんていう偉業はランディー・ジョンソン以来24年ぶりだそうで、これにはやっぱり敵わないか。

私はこの優勝を我がことのように喜びつつ、他にいろいろなことを感じもしていました。

まず、分断の時代、MLBは、Dodgersは、世界にDEIすなわちDiversity(多様性)、Equity(公平性)、Inclusion(包括性)とは何かを示す最高の教材だということ。ヨーロッパのさまざまな国や地域から先祖がやってきた白人アメリカ人たち、そしてアフリカン・アメリカンたち、野球文化が波及し、本国アメリカに劣らぬ人材を生み出している中米諸国のむろん黒人を含むラティーノたち、そして太平洋を越えて野球が普及した日本や韓国のプレイヤーたちが、互いの技術を日々の努力ゆえ持ち得ている<今>のみを見、尊敬し合う図式だ。英語による即時的コミュニケーションはとれなくても、なにしろチームメイトの努力と技術・能力卓越を敬い賞賛し、自分も彼らにそうされたいという動機が渦巻くようなベンチ、ブルペン。

二つめは、レジェンド投手CC.サバシアが山本由伸投手の偉業を讃えつつ、「アメリカの投手育成法では<ヤマモロ>は生まれない。球数制限とか、投手の肩や肘を守るためという大義名分があって、それは尤もらしいけれど、日本の高校野球などで見られる投げ込みをひたすらこなしてくる日本人投手のようなタフさを持てなくなっている」というような見解を示していたこと。いや、それがまさに日本でも問題になり、今投手育成の考え方はメイジャーリーグに倣いつつあるわけで、この辺りは甲論乙駁だ。

三つめは、肩や肘を壊すということに関連し、日本高校野球でも旧式の考えの中で育った大谷さんは2度もトミージョン手術を受けている。この医療技術が開発されていなかったら、彼の「二刀流」のこれまでの偉業はなかった。たとえそういう医療技術があっても過酷なリハビリを耐えなければ復活はないのだと言われても、昔、肩と肘を壊してしまいそれ以降のcareerを断念した投手はいたわけだ。「なにがベーブ・ルースだ」と大谷絶賛の話が多く、「あんな野球の黎明期、レベルの低かった中での記録じゃないか」というのも聞いたことがある。それはもちろん一理あることだけれど、あの時代はあの時代の地平線があって、それが押し広げられた今と比較するのは公平ではない。もしRuthが投手を断念したのが肘や肩の故障だったとすれば、あの時代大谷さんらを救ったトミージョン手術はなかったわけで、記録更新の術はなかったわけだ。

ま、なにしろひとつめの感想がほぼ全てだ。

Dodgersのアジア人メンバーに限ってだけ言えば、まずロバーツ監督は沖縄県人の母親と黒人米兵との間に生まれた子だ。レギュラーやPSの試合に出た控え選手では、大谷、山本、佐々木の日本人プレイヤー、そして韓国出身のキム・ヘソン、韓国人の母親を持つエドマンがいる。これに、さまざまな欧州の国々から移民としてやってきたヨーロッパ系とさらにアフリカン・アメリカンの選手とスタッフたち、そして中米のラティーノ、黒人の選手・スタッフが加わって、Cosmopolisの様相だ。

みんなが励まし合い、競い合い、敬い合い、称え合うDodgersというteamこそ、人類共同体の到達点ではないか。


追記 なおToronto Blue Jaysはすばらしいteamだったよ。選手監督コーチのみなさん、お疲れ様でした。そしてこんなにexcitingなWSを見せてくださり、本当にありがとう!

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