変な夢と落語の話

 まったく素っ頓狂な夢を見た。しっかり覚えているという稀有な内容。

今までにも数回見てきた、喜多方か會津若松の駅から故郷の自宅の在る野沢へと電車(正確にはディーゼル車)に乗る前のことなのだ。切符を買おうと券売機にお金を入れると、なにかが詰まっていて乗車券が出てこない。券の出口のところを覗くと不思議に大きな間口になっていて詰まっているものが見える。引き摺り出すと、30センチかける30センチほどの紙包みで、開けるとなぜかソフトクリームを含むお菓子がいっぱい入っていて、もう電車などどうでもよく、ニッコニコで周りの人々に菓子を見せびらかしながら街の方へと歩き出すのだ。<その時の私>はきっと高校生ぐらい。

フロイト様、ユング様、また河合隼雄様、冥界からどういうことを示唆する夢か、お教え乞う。

*

YouTubeに七代目三遊亭円楽の襲名披露口上の様子を映すビデオが数本あって、なかなかにおもしろかった。

七代目は、五代目三遊亭円楽の弟子で「笑点」で一番おもしろくない(失礼!)好楽さんの息子さんで、なぜか父親に入門せず、父親の師匠である五代目(あの馬面の人)に入門した人だ。前の名を王楽と言った。つまり父親好楽とも、また六代目円楽(腹黒などと言われた笑点メンバー)とも兄弟弟子になるわけだ。2008年のNHK新人演芸大賞でも落語部門の大賞を獲るほどの実力があるらしい。YouTubeで数席聴いたけれど、そつがないという印象。それでいて「五代目円楽一門会」では総帥の系譜、直弟子だから、立場も強いというのがあるだろう。父好楽も継ぎたかったであろう円楽の名跡を勝ち取ったのだ。

ただ、円楽という名跡は確かに大きいのだけれども、圓生と円楽じゃ、名跡として雲泥の差だ。なにせ圓生は三遊派の総帥の名だし、六代目圓生は、人柄さておき、大名人だ。私も、「うまいなあ、大名人だなあ」と何度思ったことか。巧すぎて、どんな弟子もその名を継ぎようがないほどだと思ったし、六代目夫人も山﨑家(六代目は本名山﨑松尾)として圓生を「止め名」にしてしまったほど。夫人も弟子には誰も夫に匹敵する者はいないと見限ったのだろう。

五代目円楽(正しくは圓楽)は昭和の名人六代目圓生の総領弟子で、ゆえにきっと七代目圓生になりたかったはずで、そう公言もしていたようだけれど、最後は師匠にもその夫人にも嫌われたようで、襲名できなかった。圓生の死後、五代目圓楽は自分の一番弟子(鳳楽)を圓生にすると画策したが、これも叶わなかった。

新・円楽は腕を磨き、もしかすると将来圓生に推挙する声が出るか?とにかく六代目がすごすぎたからなあ。


実はこの話の冒頭で紹介した「七代目三遊亭円楽の襲名披露口上の様子を映すビデオ」を見ていて一番興味深かったのは、その口上のために参集した各有力噺家がその機会にかなり赤裸々にさまざま想いを述べたその内容だった。

司会をした林家木久扇の息子木久蔵は、人間国宝だった小三治さんの弟子柳家三三も将来人間国宝になる人と紹介し、そこでは誰もツッコむことなく、三三本人も謙遜しなかった。落語界最初の人間国宝柳家小さんの孫柳家花緑の紹介では、将来の人間国宝候補どころか名人になる人という<おべっか>も全くなく、気楽な落語生活をしているお坊ちゃん扱いだった(と思う)。あの初代林家三平の長男林家正蔵の紹介では、「弟(二代目林家三平、笑点メンバーから外された)はこの人の爪の垢を毎日煎じて飲んでほしい」とすら言い、正蔵の稽古熱心、落語協会への貢献に弟は比するところもないということをはっきり言っているのだ。

また違う回の口上では、入門同期の春風亭一之輔がサラブレッドの新・円楽を「憎い!」と言い、スタートからの大きなハンディキャップをつけられたことを冗談めかしに本当にねたんでいた。

書くこといっぱい過ぎて、まだまだあるのだが、この辺にしておこう。

娘よ、孫よ、父は、じいちゃんは、落語が大好きなのだよ。落語の話になると、<ねっちょはって(=會津弁。「夢中になり、ムキになって」という意味)>しまうんだ。

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