一体どれだけ中国から学んできたことか 〜故郷のラーメンのこと


 

成城4丁目、パークシティと野川に挟まれた緑地の道と区道(おそらく)、おとといの景。

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昨日は久しぶりに調布の喜多方ラーメン坂内へ自転車で行った。実は義父の娘と練馬区桜台に行く用があって、そこの坂内で食べようということだったのだが、なんとつぶれていたのだった。一旦家に帰ったが「坂内モードに入っている」と言う彼女の願いで、「では調布店で」と、もっと近くに千歳烏山店が在るのだけれど、天気もいいし、片道30分くらいの調布店で食べることにした。

午後1時を過ぎていても行列ができていて、「こっちは繁盛しているね」と言い合った。私は行列してまで何かを食べるということは一切しないのだけれど、まあ、義父の娘を慮ったということで。待ちは25分近かったか。

桜台の店は立地が良くなかったとしか言いようがない。調布駅(1日乗降者数約12万)と桜台駅(同・1.5万)では規模として比べようがないしなあ。それでも固定ファンたちにはショックなことだったろう。まあ、隣の練馬駅近くに練馬店が在るから、我慢ですな。

喜多方ラーメンはしかし、ピンチだそうだ。後継者不足が主な原因だそう。元祖源来軒もその理由で廃業だった。

御清水(喜多方市の一地区名)の坂内は本当に一人勝ちだなあ。日本3大ラーメンの一角を守り続けるのは坂内なのだなあ。

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私の生まれ故郷は喜多方市の西隣、ラーメンはやはり喜多方風だ。喜多方ラーメンの祖が浙江省出身の源来軒店主潘欽星さんなら、我が故郷のラーメンの祖は「ジャンベさん」と呼ばれたやはり中国から来た人だったという。しかしまあ、中華料理職人は本当に世界の隅々まで到達していくなあ。そのジャンベさんは日中戦争が始まってから忽然と姿を消したそうだ。町の人は「支那の間者だったのだと噂したという」(父の著書による)が、會津の片田舎に探るべき情報などあるはずもなく、きっと偏見に耐えきれずに(当時「支那膺懲(しなようちょう)」なる中国を懲らしめるという意味の四字熟語もできていた)町を去ったに違いないと思う。

Mooさんの住む長野県北安曇郡池田町にも中華料理店がある。華僑が経営している、廉価でおいしく盛りがいい店だ。女主人(?)はとても感じのいい、品のある人だ。私は池田に行くたびに必ず食べに行く。先週もそこへ行き、Kも幸夫ちゃんも2回目となり、量に圧倒されつつ「やはりおいしい!」と舌鼓を打っていた。

私の父は地方公務員で、母は専業主婦でなく化粧品店を経営していたので、ついつい店屋物を注文することが多かった。私にとって基本となったラーメンの味は「はるよし」のそれだった。母は商売上持ちつ持たれつで出前してもらう店をいくつか抱えていたが、子どもながらに、「はるよし」の料理はまず見た目が品がいいと思っていた。また味も他店を凌ぐと。「はるよし」は今でも存続しているのがうれしい。

https://tabelog.com/fukushima/A0706/A070601/7008312/



コメント

  1. 喜多方ラーメン大好きです。1990年頃、福島の東山温泉の近くの小さなスキー場(おおすごスキー場)に行ったときに、ゲレンデの中腹の小屋で食べた喜多方ラーメンがうまかったのを鮮明に覚えています。

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    1. みどりぶたさん、お久しぶりです。そうですか、會津若松の「奥座敷」と呼ばれる東山温泉近くで。會津若松も喜多方ラーメンですよね、確かに。ただ喜多方は飯豊連峰の伏流水で麺やスープを作るからうまいんだとよく言います。私の郷土も飯豊連峰の麓と言っていいところなので、元祖喜多方ラーメンに負けません。若松は磐梯山の伏流水になるのかな。でもちょいと東に離れすぎかも。笑

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