信じる

 



昨日金曜日の午後、喜多見に在る世田谷区立ふれあい広場を歩いていて、おだやかな小春日和の中、幸福感を抱いた。歩いて私が近づいてゆく樹木とただ向き合うだけのことだが、木たちと意思疎通をしていると本当に思う。

同じ時間、国会の周りを囲んだ反戦を叫ぶ人々に心から敬意を表す。一方で自分は何をやっているんだと思わなくもない。「お前のその幸福感を覚えていられるのも、平和あってのことなのだぞ」と自分に言い聞かせる。「存立危機事態」とかというのを定義した安倍政権時、それに抗議するため私は国会議事堂前で声を上げた。9年前だったか。

そのことを免罪符にし、現首相の、中国と一戦交る可能性を肯定するというさらなる暴挙に対し、矢も盾もたまらずに議事堂に駆けつけないことを許せ、というのではない。ただ、私は日本国民の多数が戦争などしては絶対にならないということを分かっていると信じたいのだ。14億とかの国民を抱え、軍事技術も格段に上がっている核保有国と戦争するなんてありうるはずもない。ましてやその開戦理由が、台湾有事では話にならない。日本は台湾を中国の一部と認めているのだから。

むろん台湾を中国が軍事力で制圧するようなことには反対する。あくまで平和的に問題を解決していくべきだと思っている。それでも、「ひとつの中国」を認めて55年経っている。現首相はそのことを知らないはずはないだろうに。

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今日も東京は小春だ。初冬の陽光がまぶしい。

欠伸して ブルっと震ふ 小春空

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