性善説、古今亭文菊



昨日の話の続きだが、義父は転倒して数人の若い女性たちの介抱を受け、また若い男性が119番通報をし、抱きかかえ、縁石に座らせてくれたと言う。女性たちは持っている限りのティッシュペーパーで義父の出血を抑えてくれたのだそうだ。

義父はお礼をしたいから連絡先を教えてほしいとその若者たちに言ったのだが、当然のことをしたまでと謝礼を固辞したしたそうで、孟子の性善説を再び信じたくなった。

*

再び落語の話だけれど、私は圓生、先代小さん、三代目金馬、十代目小三治、志ん朝が好きなのであって、趣味が狭すぎると言われても、しかたがない。落語開眼は小学生のときに聴いた小三治さんの「中村仲蔵」だった。まだ修行中の役者仲蔵が急な雨に降られて蕎麦屋か何かに雨宿りがてら入って、そこに次いで入ってきた侍のいでたちにヒントを得て、演じる「仮名手本忠臣蔵」での端役定九郎の人物造形を見事にやってのけ、大向こうを唸らせる演技をしたというところ、その情景が目に浮かぶようで感激したのだ。

上で挙げた以外の噺家に興味はあまり持てないできた。なぜってもうその五人で十分だったからだ。ある落語家のある演目だけ好きになるということはあるが、広がらない。人物はおもしろいなという噺家もいた(例えば立川談志師とか)が、それ止まり。師の場合は、「枕」が私には余計すぎた。

柳家喬太郎さんや柳家三三さん、春風亭一之輔さんなど、有望株どころかもう一枚看板になっている<比較的若手>もいるけれど、明治を知る師匠とその薫陶を受けた噺家とそうでない噺家には劃然とした境界があって、私には、古典落語を聴く以上、それが決定的なのだ。平成以降生まれの噺家さんには身も蓋もないことで、申し訳ない・・・いや、私がファンかどうかなどどうでもいいのだが。

そんな中、小三治落語協会会長(当時)の推薦で28人抜きで真打になった古今亭文菊さんはその大抜擢に恥じぬ藝を持っているようだ。「ようだ」とはまだあまり聴いていないので確信は持てないので。

文菊さんは世田谷生まれで「自由が丘」を出身地として言っている。自由が丘は目黒区に在るが、東横線のその駅は世田谷区奥沢の最寄駅でもあり、おそらく奥沢生まれ育ちなのだろう。大変な高級住宅地だ。お父上が青山学院中等・高等部で十二代目市川團十郎さんと同級生で仲良しだったそうで、その團十郎さんの息子・海老蔵(当時)さんとも家族ぐるみの付き合いで幼馴染だったという。

みなから「品がいい」と言われているが、それはもう出自による。自身は学習院に高校から入って大学を出ているから、なんとも毛並みの良さはおそらく落語界一だろう。

本当のエリートはエリート面をしない。文菊さんはそういう人と見受けられた。期待する。

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