"At least I should have buried her hand."
昨日の無名塾。
主を失ひ、小春日和でも寂寥を湛へてゐるやうに思へた。玄関前で合掌して去つた。
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仲代さんは筋金入りの反戦主義者だった。以下Grokよりー
仲代達矢の渋谷での爆撃体験
仲代達矢(1932-2025)は、日本を代表する俳優で、無名塾主宰者として知られています。幼少期を東京で過ごし、第二次世界大戦中の空襲を直接体験しました。特に、渋谷・青山地域での山の手空襲(1945年4〜5月頃、米軍による大規模焼夷弾攻撃)は、彼の人生に深いトラウマを残す出来事でした。この空襲は、東京の麹町・赤坂・渋谷・世田谷などを標的とし、5月25〜26日の攻撃では3262トンの焼夷弾が投下され、3242人が死亡、1万3706人が負傷する惨事となりました。
具体的な体験談
仲代さんは、当時12歳頃の少年でした。ある日、青山小学校の友だちに会いに行くため渋谷・青山方面へ出かけたところ、空襲警報が鳴り響きました。焼夷弾が「ばらばらと」落下する中、彼は近所の小学生くらいの小さな女の子と手を繋いで逃げていました。明治神宮の参道付近を走っていたところ、急に女の子の手が「軽く」なりました。振り向くと、彼女は焼夷弾の直撃を受け、腕だけが残っていました。数十センチの差で自分は助かりましたが、恐怖のあまりその腕を捨てて逃げてしまったのです。この出来事は、仲代さんにとって生涯の悔恨となりました。後年、彼は「せめて腕だけでもきちんと葬ってあげていたら」と繰り返し語り、戦争の残虐さを象徴するエピソードとして公に語り継ぎました。数センチずれていたら自分も死んでいたかもしれないという「もらった命」を、俳優として反戦・反体制の舞台作品に注ぎ込みました。
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仲代さんが亡くなった2025年の今、「憲政史上初の女性宰相」は台湾有事なら中国と戦争を辞さないと言っている。無知のくせに居丈高にふるまう元「米国連邦議会立法調査官」は、中国を侮り、仲代さんが体験してしまった惨劇が再び日本国民を襲う可能性を開いてしまった。
本当に、本当に、腹立たしい。
そして空しい。

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