A Hard Day in the Life
立冬のおとといは下の孫の一歳誕生日だったのだが、なんと失念しており、都心が混む前と昨日早朝6時半頃クルマでプレゼントを届けた。祝いの句も添えた。
初冬暁 響く聲澄む 孫一歳
この句の中に孫の名前が隠れている。
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昨日は昨日で、義父の1日早いが誕生日祝いをすることになっていて、私はその晩餐の時刻までうつらうつら午睡する中、オンラインで仕事をしていた義父の娘が「大変!」と私を起こす。「どした?」「お父さん、道路で転んで顔面強打し救急搬送されたって。」
どこでのことかは秘匿するけれど、大好きな某オーケストラ公演を聴きに行く途中のことだった。義父が直接彼の娘に救急車内で電話をしてきたというので、深刻なケガではないとは推測できたが、なにしろすぐに搬送された病院へ。
病院は東京における租界のようになっている地区に在って、街はごちゃごちゃしており、大規模な病院というわけでもなく、よく病院のwhereabouts(ごめん、日本語が出ない。単に「所在地」ということばかりでなく、どこが入り口かとかというのも含めて)がわからず有料駐車場にクルマをとめることになってしまい、そこへの一方通行路の狭いこと狭いこと。しかも行き交う歩行者が半分以上外国の人たちというようなところで、中には迷惑そうな表情でこちらを睨むような強面の国籍不明人もいたり。
痛々しい包帯巻きになっているのではと恐れたが、義父はマスクをしており、大半の傷は隠れていて、壊れたメガネのフレームで切った傷を覆う絆創膏だけが見え、至って<普通>に近い感じで処置室前の椅子に座っていた。
義父は開口一番「いや、本当に世話をかけてしまい申し訳ない」と謝った。「そう深刻でなさそうで何よりです」と私は応えた。しかしマスクを外すと数箇所に擦過傷や打撲痕があり、義父は抗血小板薬(いわゆる血液サラサラにする薬)を普段服用しているので、厳重に手当てされていた。
義父から事の顛末を聴きながら、10分後くらいにCT映像の結果を医師から聞いて、一応問題なしということで、病院を去った。
クルマの中、アドレナリンが出まくったであろう義父は、さすがに誕生祝いの晩餐を楽しみにする食欲も気力もなくなっているというようなことを口にしたので、「そうですか。ではキャンセルしましょうか」と応じた。その方向で話しているうちに、義父も落ち着いてきたのか、「肉と豆腐は食べたいんだ」と言い出した。「ただその他の具材や料理はいらない」と。食欲が出てきたと私は判断し、「だったらそのように注文すればいいので、コースにしないということならいかがですか」と訊くと、「そういうことなら」と。もちろん折角娘夫婦が設けてくれた誕生日(米寿)祝いの席をキャンセルできないと思ったのもあるだろう。
一旦義父も我々も着替えてから、某料理屋へ。義父は普段と変わらぬ食欲を見せ、彼の娘も私も大安心。しかもなんと前言撤回でコースで料理を頼み、メイン料理前のふぐの「てっさ」や唐揚げなど、義父の大好物を<大好物らしく>食し、「コースにしてよかった!」との言葉も頂戴した。(笑)
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そんなわけで、クルマの運転機会が多く、また気を揉むなかなかのhard dayであった。ここの更新をしている暇がなかったのだ。
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