プロしか信じない

 




昨日、私が肉親を次々亡くして鬱状態になった頃に私を慰めてくれた狛江市の旧第七小学校近くの金木犀の許へ。今年も開花時に挨拶しに行くことができた。感謝しきり。「来年も、またさらにその翌年も、ずっとずっと、会おうね」と声をかけた。

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昨日人間(じんかん)のこと、すなわち人事、そして政治への関わりを忌避する気持ちを書いた。子や孫がこれから長く生きていく世があるのに、こっちはもう老い先長くないから関わりたくないとするのはずるく無責任なのは承知している。

私が最も書きたかったのは、政治家の多くが「天職に命を懸けていない。素人だらけ」としたためたところだ。その筆頭に現総理大臣がいる。「元・米国連邦議会調査官」と名乗って彼女はTV界に進出した。「カイロ大学主席卒業」の人と時期もほぼ同じ、非常によく似ている経緯だった。

「米国連邦議会」で「調査官」ができるほどの人なら、なぜあんなに英語がまずいのか。彼女がプロンプターを駆使しつつ、心こもらぬスピーチをしているビデオを見て思わず仰け反った。このレベルで「米国連邦議会調査官」など務まるはずがない。

その肩書きでTV界に出て、その知名度で政界に転じ、とうとう人臣位を極めた。元々が虚しい実力で始まって、後にその「売り」の力をなんとか辻褄合わせでも高めたとは到底言えない。公開討論会のような場で1分の即興英語スピーチもできなかった(敢えてしなかったとは言わせない)。

こういう「天職に命を懸けていない。素人」と言うしかない「国際派」はずだった政治家が首相になってしまう、周りがさせてしまう今の日本を憂う。そしてその憂いが今ほぼ絶望感にまで到達したのだ。

次の選挙でまた私は本当の政治家を探し、投票する。それしか私にはできそうにない。

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