金木犀の開花はバラバラ
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掌返しってあるよね、ひっどい話だ。Roki Sasakiも春からずっと叩かれまくって、ところがこのポストシーズンでの空前絶後的活躍で、180度評価を転回、中には悪口雑言を投げつけていたのに「信じてたよ」なんて言い出す者すらいる。
公明党の連立離脱でも同じ。今までずっと、四半世紀も、自民党の補完勢力になってきて、「踏まれても蹴られてもついてゆきます下駄の雪」とまで言われてきたのに、ここにきて現総裁支持者たちから「せいせいした」などと言われてしまう。
政治と金の問題について自民党新総裁が覚悟のない態度をとったことが主原因とか言われているけれど、もちろんそれだけじゃない。まあ、いろいろあっても、公党の矜持を示したのならそれはそれで評価していいのでは?平和の党とか言われつつ、また自認しつつ、酷かったよね、ここまでのタカ派自民党への追従(ついしょう)ぶり。本当にそれじゃまずいということで反省、覚醒したのなら、連立解消という結果だけについては自民党新総裁支持派のみなさんと同じ、私も歓迎です。
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そうそう。昨日砧公園を自転車で走っていたら、東名高速脇の樹林帯でセミの声が。アブラゼミの声だった。10月にも生き残っている個体がいるのは知っていたけれど、やはり感動した。健気じゃのう。パートナーは見つかったでおじゃるか。
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金木犀が香りだして、さあ、狛江市多摩川住宅脇の道路で咲いているだろう金木犀たちに挨拶をしなければと今朝は自転車を漕ぎ出した。肉親が次々亡くなっていった2011年からの数年間を経て、私は2013年辺りから鬱状態になったのだった。両親は87歳まで生きたのだからそれはしかたがないと思えたが、長兄64歳、従姉59歳での死にはかなり心をやられてしまったのだ。そして同時に白内障も出てきてしまい、マッサージ器具の誤用で上半身痛が起き、そのときは痛みの原因が分からず、「今度は俺か」と恐怖に苛まれたのだ。
そんな日々の中、ある秋の麗らかな午後、私は重い足取りで多摩川べりを歩き、多摩川住宅前の通称根川通りに置かれたベンチに座っていた。かなり年配の男性が離れたベンチに座っていて、そこに知り合いのこれまたお年寄りの男性が近づき一言、二言ことばを交わす。そしてそのお年寄りが今度は私の方へやってきて、「いい日和だね」と声をかけてきたのだった。私は「そうですね」とうれしく応えた。
そのベンチから根川通りを挟んで金木犀が7、8本植えられている歩道がある。私は満開になっているその金木犀へ行き、「また来年も(死ぬことなく)きっと君らの香りを楽しみにくるよ」と声をかけた。以来もう12年だか、私の恒例の秋の<行事>となっている。
・・・先ほど行ったが、しかし、まだ咲いていなかった。

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