2025 十月尽雑記
昨日は産休を終えて明日から2年以上ぶりに仕事に復帰する娘に、「子ども二人も保育園に入るし、新生活パターンに慣れるまで当分会えないかも」と言われて急遽会いに都心へ。
クルマか自転車か、手段を最後まで迷ったが、秋晴れの中だったというのが決め手で自転車にしたが、いやはや、往復40kmは間違いなく、疲れた。写真は往路の神宮外苑、絵画館を遠くに望んだ。この絵画館脇で、EUROXのデビュー・シングル『COLD LINE』のジャケ写が撮影された・・・のは、え、41年前!
孫娘は2歳と8ヶ月、心身とも成長著しく、目を細めることばかり。「おじいちゃん」を連発してくれて、前々回までの人見知りがウソのようだった。
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往路はまず大久保通りとなった。牛込柳町までは1999年から2005年までの私の<テリトリー>だったところで、狛江に回帰してから何回か訪れてはいるけれど、懐かしさは断然衰えてしまっている。柳町の交差点で左折、外苑東通りに入り、別に行きたかったわけではないが防衛省前を通った。
市谷に 沈める滝や 憂国忌
20年以上前に詠んだ我が句。三島さんの自裁記念日が迫ってきた。「アメリカの走狗」となっている今の日本を三島さんはどう論難しただろうか。
原宿から井の頭通りコースへ。原宿の超絶レベルの人混みは「日本人」と外国人旅行客の数が半々というようなことではなかったか。しかもハロウィーンの格好をした人たちも数いて、三島さん、こんな風景見たら卒倒しただろうな。
よく使う淡島通りへ抜けるつもりで走っていて、風情がよく似ている道に出たが、どうも違うなと思ったら、駒場通りだった。初めて通る。いくらなんでもと言うくらい古めかしい東大の時計台に不気味さすら感じたなあ。
ここは1935年以降50年まで第一高等学校(一高)だったらしい。と言うことは、三島さんも通ったわけか。(別に三島さんにこだわって書いていないのだけれど。)
間違ひ。三島さんは東大入学までは学習院だつた。
そんなこんなで世田谷の自宅に着くと、疲れてしまい、風呂に入って早々に寝入ってしまい、このブログ開始以来1日も欠かさなかった更新が途絶えたのだった。
だからど〜した。
追記
私の住む世田谷区砧地域から娘夫婦の住む都心某所までは直線距離だと7kmしかないそうだ。当然道路を使って歩くと10~12kmとのこと。私は道路による最短距離では行けていないし、道を間違えてもいるから片道13-15kmだったということだろうか。往復は最長距離で30kmだったと推測される。本文での記述は大袈裟だった。
なにしろ直線距離で7kmとは驚いた。ヘリなら数分だ。(乗れるか!)

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