グラヴィトンは<重い>ではなく<想い>

中島義道さんのお師匠、大森荘蔵さん(科学哲学・東大名誉教授、故人)のある文章で、確か、思い出として現れたものは<実際に>立ち現れているのだ、というような少し面妖なことを言われているのを読んでまさに面食らった憶えがある。時間は線形ではなく、流れず、刹那的な「立ち現れ」の連なりで、物理学的な「t」とは異なる、と。

今朝は「ブラタモリ」で最近三軒茶屋が取り上げられたこともあってそっちへpottering。亡き父が暫時暮らしたという世田谷区太子堂はその「三軒茶屋」地区の一画を成すが、その辺りを少し時間をかけて走ってみた。もちろん父が暮らした戦中の三軒茶屋地区は大山街道(世田谷通りと国道246号=玉川通り)沿いのはっきり言ってまだまだ鄙びたところだったはずで、父とたとえ一緒に巡っても父もきっと浦島太郎状態で自分がどこに住っていたか見当もつかなかったかもしれない。

その太子堂から北東へ1キロあまり、駒場の東大に大森さんが勤められた教養学部が在る。写真での若き父の姿を思い出しつつ、父はそのとき「立ち現れた」。そんなこと、つまり大森荘蔵氏の話を思い出したのは、父のことを思っているその最中片耳で(道交法違反ではないはず)YouTubeの「シンプリー・ライフ」さんのビデオをラジオのように聴いていたからだ。それのあるセクションで主に重力のことを話しておられたのだが、そこでおもしろい説を聴いた。石垣島出身の「さとうみつろう」というミュージシャンがいて、その人が<重力とは想いである>と言っているのだそう。質量のない光すら重力に曲げられ、ブラックホールに吸い込まれる。この世で重力の影響を受けないものはない。しかし、<想い>は唯一の例外だ、と。それはつまり想いこそが重力(グラヴィトン)だからだ、と。さらに、超弦理論ではグラヴィトンのみが紐が閉じていて3次元空間に依存しない唯一の素粒子だとされ、さらなる高次元時空に「漏れ」ていけるのだとアメリカの宇宙物理学者リサ・ランドールは言っているのだそうだ。グラヴィトンが想いなら、3次元、4次元(3次元+時間)を超える<世界>へ「漏れ」て行ける。それが思いとして描けるなら、実際に「立ち現れ」ているのだ。その高次元世界に。(「シンプリー・ライフ」さんのビデオでは大森荘蔵氏のことは一切出てこなかったことを付言する。)

さとうさん、ランドールさん両者の説は非常にinspiringな考察、いや、直観だと思う。いささか興奮した。


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