世田谷
人口、23区では1位、面積は2位の世田谷区にはいろいろな街がある。今日まだ雨降り出さぬ朝ぼらけの中、頻繁にゆく岡本から瀬田を経由して環8を横断、玉川台へ入って今度は246を横断、用賀1丁目(上の写真)へと向かった。この辺りの住宅や集合住宅は度肝を抜かれるほど「豪ジャス」だ。住民様には一体どうやって稼いだのと訊きたくなってしまう。
1995年前後に目黒区大岡山のスタジオをよく使ったのだけれど、狛江から向かう途中によくここを通った。国道246玉川通りと駒沢通りに挟まれた高級住宅地であり、中町や深沢の一部もこの地区にある。閑静で品のいい街だから、昔から好きだった。
世田谷区には5つの地域があるが、上で主に書いた用賀、そして瀬田、玉川台、中町や深沢は東に大田区と目黒区に接する玉川地域(岡本は砧地域)、ここが5地域の中最も住民の平均所得が高かろう。次はきっと世田谷地域で、池尻や三軒茶屋など渋谷区、目黒区と隣接する地域だ。次に北沢地域かな。あの「シモキタ」があり、東に新宿区と接する。そして砧地域。TVドラマなどでよくとりあげられる成城があるからもしかすると一番全国的に知られているかも。そして烏山地域。ここは23区では北で杉並区と接する。
私はこの5地域すべてに明るいと言っていい。普段の行動半径内にあるのは住んでいる砧地域、そして玉川地域だ。烏山地区は1980年頃には住んでいた。北沢地域はそこで働いていたことがある。世田谷地域は昔から都心へ行くたび帰り道のコースとした。
亡き父も太子堂(世田谷地域)に暮らしたことがあり、また徴兵されてから入った病院は陸軍第二病院、すなわち後の大蔵病院(砧地域)、今の国立成育医療研究センターだ。その縁なのか(!)広い東京でも私は世田谷区に暮らすことになり(長くはその南西隣の狛江市だったが)、おそらく世田谷区で人生を終える。
だからどうした。
娘や孫たちに宛てて書いた、と言っていい。
コメント
コメントを投稿